はじめに

まず、宇宙の成り立ちからお話ししましょう。

私たちの生きる地球は、太陽系の中に存在します。そして太陽系は天の川銀河の中に存在し、天の川銀河はさらに大きな銀河群の中に存在しています。とてつもなく壮大なスケールで存在する無数の星々は、一瞬たりとも同じ場所に留まることはなく、複雑かつ精妙なバランスで互いに対話しながら、広大無辺な宇宙の中を旅し続けています。地球は実に秒速30㎞という速さで1年をかけて太陽を周り、太陽もまた螺旋を描きながら2億2600万年をかけて天の川銀河を周り、天の川銀河はさらなる悠久の時をかけて銀河群を周り、同じ場所へ戻ることは二度とありません。すべての存在が、常に新しい場所、未知なる世界へと進み続けているのが、私たちの生きる宇宙の実相です。

 

極めてユニークな存在、人間

そのような宇宙の中で、私たち人間は肉体を与えられ、生命として地球に降り立ちました。

地球は、宇宙の中でもまれに見る、多種多様な生命にあふれた奇跡の星です。宇宙には生命の元となる極小微粒子が遍満していますが、それらは形を持ちません。それが体という形を与えられて地球に降り立つと、その形の中に自らを特定し、他とは違う独自の個性を持った生命として地上を生きるようになります。中でも、個体ごとにまったく違った個性を持つ、大変ユニークな存在が、人間です。

形を持つことにより、生命には自らを維持しようとする働きが生まれます。例えば植物は水が不足すれば根を伸ばして水を得ようとし、日陰になれば枝を伸ばして光を得ようとします。そうして植物が自らの生命活動を維持した結果、それは虫の餌となって他の生命を生かし、その虫を鳥が食べ、さらにその鳥をまた別の動物が食べて、命をつないでいくのです。そうやって生かされた動物も、やがて命尽きれば土中に息吹く微生物たちの餌となって土へ還り、次なる植物を育む元となります。すべての生命は、自らを維持すると同時に他の生命を生かすという大いなる生命ネットワークの中にあり、その循環は、留まることなく変化変容し続ける宇宙の法のもとにあるのです。

ところが人間には、他の生命にはない際立った特徴があります。それは、他の生命が自らを維持しながらも宇宙の法のままに循環していくのに対し、人間は生命ネットワークから逸脱し、宇宙の法に抗ってまでも現状の自分を保ち続けようとする、強い自我を持っているということです。

 

平和運動の奥にある 争いの種

自我を持った人間は、この世界を司る宇宙の法の側ではなく、自らを基準として、自我の側からこの世界を見るようになりました。自分とはいったい宇宙の中でどういう存在なのかということを知り、宇宙の法に沿って生きるよりも、自我の中から湧き出してくる思考を優先して感情のままに行動し、特に近年では、科学の進歩によって物理的にも大きな力を持つようになったことで、自らの欲望を満たすことにさらに邁進するようになりました。

人間には一人ひとりオリジナルな個性が与えられています。その多彩な個性を持つ一人ひとりが己の自我に固執すれば、そこにはそれだけの主張が生まれます。そして自らの主張と相いれないものを間違いとして対立し、争いを重ねてきたのが人類の歴史です。
対立の結果、人類は二度の世界大戦を体験し、多くの人が二度と戦争は起こすまいと思うようになりました。ところがその後の平和を求める運動も、人々がそれぞれの立場から自らの視点を正しいとして主張し、互いに相いれないものを間違いとして対立を生み出しており、かつて戦争をしていた時と同じ精神構造が今も地球上に表現され続けているのです。
宇宙の法の中に存在するこの世界では、自らの意識レベルにふさわしい現象に出会うようになっています。多くの人が平和を願いながらなぜ未だに争いの絶えない世の中が続くのかというと、その背景に、争いの種となる人々の精神があるからです。

 

今あなたが見ているものは、あなた自身の内にある

人間は何かを所有すると、それを手放すことを恐れます。そして頑なにそれを保ち続けようとします。しかし、所有した時点でその意識は変化変容し続ける宇宙の法から外れており、その矛盾が歪みとなって社会に様々な現象をもたらしているのですが、多くの人がそのことに気付いていないのが現代社会の実態です。
そのような状態でどれほど真理を求めようとも、自らの意識の位置でしかものを見ることができません。自我に囚われた人間は、自らの理解を超えるものに出会うとそれを異物のように感じ、それがいったい何であるかを吟味することなく、間違っていると判断します。しかし、人間が様々な出来事に出会い、学び、進化するということは、古い価値観を捨て、新たな認識に足を踏み入れることにあります。それは常に、自らの理解を超えた先にあるものです。

果てしない宇宙の中で、私たち人類はほとんど無知の状態です。ところが人間は自らが無知であるにもかかわらず、自らの知っている範囲の中で真実を求めようとします。真の探求者とは、自らがこの世界に対して無知であることを自覚している者のことを言います。それは、新たな智恵が入ってくる余地を常に自らの中に持っているということです。
もしも自らの利害の上に何かを特定して間違いだとするならば、その判断は対象を観ているのではなく、自我の枠に囚われ、自らが変化することを拒み同じ位置に留まり続ける、あなた自身の心の内を観ていることになるのです。

 

時代が変化を求めている

すべての生命は、宇宙の法のままに変化変容していくことを宿命付けられています。常に今を壊し、未知なる未来を迎え入れることで世界観が広がり、生き生きと活性化していく。それが宇宙を生きるということです。
現代人は、脳が潜在的に持っている能力の10%しか使っていないと言われています。自我の囚われから抜け出し世界観を大きく広げた時、今起動させている能力の奥に眠っている、人間のはかり知れない可能性が花開くのです。

それは個人が生き生きと生きていくことであると同時に、時代からの要請でもあります。なぜならば、これまでの一方的な人間至上主義の結果、現代社会は次の時代の方向性をどこにも見出せない大きな行き詰まりを迎えており、これまでの価値観を人類が壊さなければ、新たな時代を迎えることができないからです。
次の時代を迎えるためには、人間が積極的に自我と向き合い、その枠組み(個人や特定の組織が持つ思考のベースとなる世界観の広さ=囚われの範囲)を理解する必要があります。そして個人と同じように、国家もまた一つの人格として自我と向き合い、自らの姿勢を客観的に観ることが大切なのです。
そこで自らの価値観を切り替えていくのか、それとも、今のまま進んで矛盾を積み重ねていくのか。もしも自らの姿勢を変えることなく進み続けるならば、宇宙、そして地球は、その姿勢にふさわしい痛みを伴う現象を人間に与えることとなるでしょう。

 

「個の花」を咲かせ、美しい大樹へ 

私たち人間は、何一つとして自分たちの力では生きられません。太陽の光がそそぎ、地球が巡って四季をもたらし、雨を降らせ、風を起こし、空気で包んで、大地が命を育んでくれるからこそ、豊かな生命の循環の中に生きることができるのであり、私たちはこの複雑な生命ネットワークがもたらす恵みをいただいているに過ぎないのです。
そういった自然の五大原則を連動させ、この現象世界(トコロ)に現している見えない柱(トキ)の存在が、すべてを束ねて、私たちに生きることの意味を示してくれているのです。そのようなこの世界の成り立ちを、生きる上で最も重要なこととし、常にそれを認識して生きることが、これからの人類に求められる時代が訪れているのです。
そして私たちの地上の営みは、宇宙を漂う星々との連携によってもたらされているのです。広大無辺な宇宙の中で、星々は驚くべき精度で互いに対話を重ね、地球に働きかけ、時代を紡いでいます。人間一人ひとりは極めて個性的であるにも関わらず、同時代に同じような価値観を持ち、同じような暮らしをしているのは、一人ひとりが星々の動きと連動し、その働きかけによって人生が表現されているからです。

2012年12月21日、私たちの生きる太陽系は、25800年ぶりの「銀河の冬至」を迎えました。
太陽系は約9000回の螺旋を描きながら2億2600万年をかけて天の川銀河を1周し、螺旋の1周である25800年ごとに冬至を迎えます。冬至とは、もっとも光が少ない闇のピークです。12900年前に光のピークである夏至を迎えた太陽系は、それから長い時をかけて徐々に闇を増し続け、真実が真実として見えなくなっていくプロセスを歩んできました。それは、個性を与えられた人間たちが、元は一つであったことを忘れ、命のネットワークの中にいながらも個性がかみ合わずに分離し、対立や無秩序を発生させていく歩みでもありました。
しかし、時代が闇のピークに到達した現代の私たちは、これまでの価値観が逆転するターニングポイントを迎えました。即ち、これまでの闇が増していく時代から、光が増し、真実が真実として照らし出されていくサイクルに入ったのです。

 

スライド9

 

闇のピークを越えたばかりの今、これまで明るみにされることのなかった社会をリードする仕組みや人々の心の奥にある歪みを、かすかに差してきた光が暴き始めています。多くの人々は未だそのことに気付かず、囚われの時代の価値観のままに日々を過ごし、対立を生んでいます。長い時をかけて人間に染みついてきた価値観は、一朝一夕に変化するものではありません。
けれども時代は確実に、光を増していくサイクルに入りました。そして、今まで絶対であるかのように妄信してきた価値観も、46億年という長い地球の歴史から見ればほんの一瞬のことなのです。そういった広い視野で捉えれば、すべては一時の出来事であり、これまでの価値観も終焉を迎える時が来ることがわかります。そういったサイクルを理解した人間は、絶対に取れないと思っている執着を手放すことが可能になるのです。

すべての生命は、ひとつの源から発生しています。私たち人間も、誰もが同じ宇宙の成り立ちを共有しており、そのことに気付いたならば、いつでも真理はひとつに立ちかえるのです。そうすると、元がひとつなのですから、どれほど個性の違いがあっても、個々が生き生きと存在しながら調和のネットワークを描くことができるのです。それは、自我と大本、そして自我と全体が常に循環している状態です。
桜の蕾の一つひとつが花開いて全体が美しい大樹となるように、社会を構成する私たち一人ひとりが新たな時代に向けての役割を果たし、それぞれの人生を花開かせていく(=「個の花」を咲かせる)ことで、社会全体が美しくなり、豊かな世界が表現されるのです。

 

150406-131649

 

大いなる実験場 木の花ファミリー

木の花ファミリーは、1994年に、20名のメンバーによって富士山麓に創立されました。
コミュニティの多くがまず自らの理想を描き、それに沿って形を作ろうとするのに対し、木の花ファミリーには特定の理想も計画もありませんでした。ただこれから始まる生き方が次の時代に必ず必要になると信じた人々が集い、どのような暮らしになるのかまったくわからないまま、20名の共同生活がスタートしたのです。

木の花ファミリーの歩みは、人類の可能性への挑戦の道です。

本サイトは、現代社会がいよいよ行き詰まりを見せ、新たな価値観がこれからの人類に必要とされている今、木の花ファミリーというコミュニティの存在は現状の社会の行き詰まりに突破口を開くものであり、一部のインターネット上にあるように問題ある団体とみなされることは社会にとって大きな損失であると考え、世の中へ向けて真実を明らかにしていくために立ち上がりました。
木の花ファミリーで起きたことの全容を明らかにし、その背景となる人々の心や時代の流れを分析していくことを通して、現代社会の闇に光を当て、次の時代を迎える人類のあるべき姿を描き出していきます。

そして一人でも多くの人が真実に目覚め、調和の世界が訪れますように ─────

 

2016年6月21日 夏至